リョクシャ化計画
緑黄色社会の初のワンマンライブに行ってきました。
晴子ちゃんの歌声が好きで、一度生で見たいと思っていたのが叶いました!
アリーナ席でしたが後ろの方。だけど、途中で四人だけ真ん中のステージまで下りてきてくれたので、すごく近くで見ることができました。
ステージに立っていると大きく見える晴子ちゃんでしたが、通路を歩く姿は「こんなに小さいの?!」ってびっくりでした。
4人がそれぞれ曲を作るリョクシャカなので、バイオリンやコントラバス、トランペット、トロンボーン、サックスの演奏もあってすごく楽しかったです。
親子席っていう枠があって、小さなお子さん連れの方がゆっくり見られる席もありました。
昔は『観せる』ライブだったけれど、コロナを経てからの変化なのか、アーティストそれぞれの思いが詰まった『魅せる』ライブに変わってきたように思います。
リョクシャ化されて帰ってきましたw
光る君へ
まひろ役の女の子、鎌倉殿の時の大姫ではないかなと。
あの時も暗殺される運命の義隆との悲恋を、あんなに小さな女の子なのにとても上手に演じてました。
今回のまひろも、後の道長である三郎君と微妙な間柄で結ばれない運命となるんだろうな~と。
実際の紫式部と道長がそういう関係だったかは結構怪しいと思うんだけど、主人が使用人に手をつけるとかありがちだし、才女の誉れ華々しい女性だったから当時の社交辞令的な口説き文句のような和歌を送るのはありありですよね。
ほんでもって、私は道長様に言い寄られたのよ的な、確かめようのない匂わせブログを書くのは、まあ本人の自由だよねとw
口コミというか、そういう匂わせブログも当時の社交界では政治的な意味も持っていたと思うのです。
そんなことを言い出すと、ドラマチックからは遠ざかってしまうし、京都なのに標準語で、高貴な女性達が素顔をさらして屋敷をずんずん歩いている違和感も、そこはドラマやんか!と割り切らないといけないのですw
前年の『どうする、家康』をファンタジー大河と揶揄した人達に「ええやん、ドラマやし」と思っていたけど、いざ学んだ平安時代がドラマになったらこんなことを思ってしまうもんなんだなあと、苦笑いしています。
しかしね、今回道長役に柄本佑をキャスティングしているのはすごく期待してます。
彼は決してイケメンではないのに、にじみ出る雰囲気がとてもイケメン。
お父さんの柄本明もとても色の濃い役者さんだけれど、雰囲気でよい人も悪い人も演じられる素晴らしい役者さん。さすがの血筋だなあと思います。
穏やかで優しいオーラを纏う柄本佑さんの三郎が、この世をば我が世とぞおもふと豪語する道長になっていく過程が見られることがとても楽しみであります。
子役の男の子もすごく良かったですよね。中学生くらいかな。
一昔前なら、美男美女しか画面を占領していなかったのですが、現代はよい時代になったというか、いろんな意味での多様性を求め始めているのかなと思います。
平安時代は戦もなく貴族文化が台頭する文字通り平安な時代なのですが、その後に続く北面の武士を育み、鎌倉、室町の戦乱と混乱の時代を生み出す素地が確立されていく時代です。
一見平和な今の時代に通じるものを感じます。
認知症とは、その状態を表す言葉
その方は、小さい頃から頭が良くて、スポーツも万能でした。
公立大学に学び、市職員として定年まで勤めました。
その後、大学の教員として招かれ、65歳まで働いておられました。
その時代、高学歴の女性が仕事を持って働いていたら、結婚は難しかったのかもしれません。
ご本人が望まなかったのかもしれません。
ご兄弟も亡くなり、その方の直系血族は誰もいなくなりました。
物忘れがひどくなり、毎日のように物が見あたらなくなりました。
一時は人に盗まれたと信じておられた時もありましたが、ご自分の物忘れの結果であると今ではご存知でいらっしゃいます。
長谷川式簡易スケールでは、その方の認知能力の低下を裏付けることはできませんでした。
認知症は病気そのものの名ではなく、脳の変成やその他の病気の影響などによって生じる障害の状態を言います。
人間の認知能力を損なう原因は、一律ではないのです。
ただ、その苦しみは同じような経過を辿ります。
その方は言いました。
「まさか私が老人ボケになるとは思わなかった。
ボケていることを友達には言えない。友達だから本当のことを話したいけれど、ボケてしまったとどうしても言えない。それが友達を騙しているような気がしている」
世の中では認知症になってしまうと、もはや人としての尊厳を失ってしまうように思っている方がたくさんいます。
大切なことを忘れてしまうのは確かです。
だからといって、人としての尊厳を失ってしまうわけではないのです。
この方の苦しみは、認知症に苦しむ全ての方の苦しみです。
決してその方が損なわれてしまうのではありません。